- “全町避難”の一部解除から半年
福島第一原発が立地し、東日本大震災による事故で「全町避難」の指示が出され、長く“居住者ゼロ”が続いていた福島県双葉町。去年8月30日に制限が一部解除され、2月末で半年が経ったが、双葉町役場によると避難先から約20人の町民が戻ってきたのに加えて、他の地域から初めて双葉町に移り住んだ人も約20人にのぼったという。その中には子ども連れの4人家族も含まれていた。
双葉町復興推進課・守谷信雄係長は「本当に嬉しい。お子さま連れのご家族に移住してきて頂けるのはもっと先になるのではと思っていました。双葉町を居住先に選んでいただいてありがたいです」と喜びを語った。
この他、行政関係者も約20人転入し、町の居住者は現在約60人となった。
このうちの一人、初めて双葉町民となった“移住組”の中に、かつて復興副大臣を務め、去年国会議員を勇退した、66歳の浜田昌良さんがいる。
- 復興副大臣から“まちの住人”に
国会議員歴18年、そのうち約5年復興副大臣を務めた浜田さん。震災直後から福島に深く関わり、「千日以上、常駐していた」という。去年7月に議員を勇退すると、その直後の10月、双葉町に生活の拠点を移した。
家族を横浜市に残し、単身での移住。なぜ町民として双葉町で暮らそうと考えたのか。
「当時みんなで考えたことや取り組んだことが、どのように進んでいるか、同じ空気を吸いながら見守りたいと思った」
被災者と共に一歩ずつ進めてきた、まちの再生。時間がかかる上、時には方向性の修正が求められる場面もあるかもしれない。浜田さんはそうしたときにも力になれるようにと、移住を決めたという。
そして、浜田さんの移住への思いを後押ししたものが、もう一つ。
- 「新しいカタチ。自分も身を置きたいと思った」
双葉駅西側地区では公営「えきにし(駅西)住宅」全86戸の建設が進み一部で入居が始まっている。そして2月1日には、震災後初めて医療機関「双葉町診療所」がオープンするなど、復興に向け大きく動き始めている双葉町。
今、その“力”の一つになりたいと町に移住してくる人が増えているが、その顔ぶれは、起業を目指す若者など多彩だ。
「みなさんそれぞれ思いを持ってこちらに来ていて、面白い方たちばかりです。いろいろな方がまちに集まって再生を目指してくのは、まちづくりの新しいカタチだと思います。この中に自分も身を置いてみたいと考えました」
「周辺の町でも、大きな予算が投じられて、世界に誇る巨大プロジェクトが動き出します。ここは革新的なことに取り組める場所です。白いキャンパスを見たときに魅力を感じる方は、ぜひ町に来てチャレンジしていただけたらと思います」
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