海と日本PROJECTin沖縄県実行委員会は、古くから海人のまちとして知られる糸満市ではどのように漁業が発展してきたのか、また海の環境がどのように変化してきたのかを学ぶために、2022年8月26日(金)~27日(土)、「第1回 しまうみ探検隊in糸満~海人のまち糸満で学ぶ 魚のくらし、人のくらし~」を開催した。
このイベントは、次世代へ海を引き継ぐため、海を介して人と人とがつながる“日本財団「海と日本プロジェクト」”の一環。
- イベント概要
開催概要:沖縄本島最南端の町、糸満市。農地が少ない糸満では、古くは琉球の時代から海洋資源に注目し、サンゴ礁の海で獲れる魚を中心とした漁業が発展してきました。小型木造船”サバニ”を使った漁業、人口密集地の那覇まで広がった販売網、資源を無駄にしないために発達したカマボコなど水産加工などについて学びます。今回の調査を通して、糸満に代表される沖縄県の漁業の過去と現在の変化、これからの海と人との持続的なつながりを考えてもらうことが狙いです。
日程:2022年8月26日(金)~27日(土)
開催場所:沖縄県糸満市
参加人数:13名
協力団体:しかたに自然案内、NPO法人ハマスーキ、糸満の歴史と文化研究会、
糸満市観光文化交流拠点施設くくる糸満、西南門小カマボコ屋、沖縄県水産課
- 糸満で発展した伝統漁業、海人の知恵が詰まった漁具や漁法を体感!
はじめに到着したのは糸満海人工房・資料館。かつての漁具や漁法について学びました。
糸満の漁業はサンゴ礁に囲まれた浅い海で行う沿岸の漁に始まり、定置網漁や沖合の追い込み網漁に発展していきました。
資料館に展示されたサバニや海人が考案した水中眼鏡「ミーカガン」などの漁具に触れ、当時を想像します。かつて糸満には、他地域と比べて陸地が狭く十分な農地面積がありませんでした。そこで、糸満の人たちは、漁業に従事することで大きな蓄えを得て、沿岸の土地を埋め立てながら発展してきました。約1年に及ぶ遠洋漁業に従事した人は家1軒が建つと言われるほど当時の糸満の人たちは豊かな暮らしを手に入れたといいます。
「どんな魚が獲れていたんですか」「どこまで漁に出かけていったんですか」隊員たちからは多くの質問が飛び出し、当時の海人の漁業の様子や暮らしに驚いた様子でした。
- サンゴ礁の海の生き物や、地形の特徴は?
午後からは大度海岸で浅瀬に生息する生き物たちを観察。この日は新月前日で干潮時に歩けるエリアが広い点も学びのポイント、観察に適した日なんです。陸地が少なく、沿岸を埋め立て発展した糸満ですが、ゴツゴツとした岩場が多い南側の大度海岸には昔と変わらない自然が残っており、サンゴ礁の海を体感できます。サンゴ礁の役割とは?生き物達にとって防波堤の役割を果たしたり、サンゴが出す粘液やサンゴそのものを餌とする魚もいます。
まずは生き物観察のためのルールから。生き物の住処の上を歩く意識を大切に、きれいな貝や生き物を捕まえて元居た場所に戻す(居心地が良い場所へ返してあげる!)、危険な生物の特徴や対処方法を教わりました。
砂浜から干潮の海へ。岩場の所々にある潮だまりで子供たちは海面に顔を近づけて生き物を探し、発見するたびに「先生!」と声が上がります。ウデフリクモヒトデ、イソアワモチ。サンゴ礁の浅瀬に住む様々な生き物の特徴を教わりながら、サンゴ礁が育む豊かな生態系を実感しました。
- あちこーこーで人気のカマボコ!原料はなぜ変わった?
糸満は沖縄カマボコ発祥の地でもあります。創業104年の老舗カマボコ屋「西南門小カマボコ屋」さんにカマボコの食文化について学びました。かつて糸満には25ものカマボコ屋さんがあり、県内の7割が集中したそうです。たくさん獲れて売り余った魚をすり身にしたことからカマボコが誕生していきました。
クロカワカジキ、サメ、グルクンなどの豊富な魚を原料としてきましたが、年月の経過とともに近海で獲れる魚の量が減っていき、1970年代には原料がオホーツク海で獲れたスケソウダラや南洋のイトヨリダイに移り変わっていきました。沖縄を代表する食文化として愛されるカマボコの意外な歴史に子どもたちは、「県産の魚が原料だと思ってた!」「沖縄の魚と今の原料の魚で味はどう違うんですか」など質問していました。
そのあと工場を実際見学しながらカマボコが作られる工程を教わり、実際にカマボコを揚げる体験をしました。
西南門小カマボコ屋3代目の玉城社長は、カマボコの原料として使用できるクロカワカジキは年間約500キロ程度まで減り、販売できる機会は減ってしまったそうですが、子供たちにカマボコの歴史を知って、伝統あるカマボコの食文化を大切にしてもらえたらとメッセージを送りました。
子供たちはお土産でもらった自分で揚げたカマボコを手にしながら、「沖縄そばにはカマボコ。歴史を知れて良かった」「いつか昔のカマボコも食べてみたい」と、笑顔で語りました。
- 海の未来のために、魚たちとどう向き合う?
2日目はオンラインでのプログラム。初日に学んだ糸満における漁業の発展の歴史から、海の環境変化を感じてきました。次は、具体的に魚はどう減ってきたのか、減った魚を元に戻すためにどのような取り組みをしてきたかについて教わります。沖縄県水産課の秋田雄一先生は、これまで小さな魚を獲りすぎていたと言います。小さな魚とは卵を産む前の子供の魚。大人まで生きる魚が減ってしまい、魚がいなくなっていったということです。
糸満市の魚はタマン(和名ハナフエフキ)。かつては市南部の名城や喜屋武がタマンの漁場として知られ延縄漁で大漁に獲れていましたが、今では少ないそうです。
このタマン、本島北部の今帰仁・羽地海域で2002年に保護区として守られ、20年が経過した今、30%ほど数が回復したといわれ、増殖の成功事例として注目されました。若い魚を守っていけば、大人で生きるタマンが増えます。資源量を守ることが持続的な海との関わりだと教わりました。
「魚も人も同じで好きな住処があって、そこが漁場になっていると知れて良かった」「小さな魚は買わない。自分にできることをやってみようと思った」と新たな視点を持てた様子でした。
- 海へのメッセージを発信しよう!
これまで学んだことを振り返りながらキーワードを書き出します。それぞれのプログラムで知ったこと、考えたこと、自分にできるかもれないと感じたこと。未来の海に向けたメッセージを作るために、3班に分かれました。今回は沖縄にまつわる琉歌(8・8・8・6)のリズムで言葉を考えます。前半の8・8で風景や出来事を、後半の8・6で心や気持ちや希望を表現します。3班それぞれで意見を交わしながら、合計6種の琉歌が生まれました。琉歌に含まれるメッセージをデザイナーが吟味して、ばくだんおにぎりの新パッケージのコピーとなります。この日は時間がなく出来なかった魚のイラストも宿題として後日子供たちに書いてもらい、その絵もパッケージに反映します。
全行程を終えた子供たちは、「もっと海について知りたいので次は宿泊ありでお願いします」
「糸満の海もばくだんおにぎりも好きになりました」とまだまだ元気が残っている様子でした。
ばくだんおにぎり新パッケージは11月までに販売予定です。
- 参加した子ども・保護者からの声
・「昔の糸満の海人が海外まで漁で活躍したことを知れて刺激的だった」小5男子
・「大度海岸の観察でサンゴのある潮だまりの方が魚が多くて、サンゴは大事だと感じた」小5女子
・「旧暦が海と関係している歴史を知って、大切にしたいと思った」小6男子
・「小さな魚を獲ると魚がいなくなるのは当然。小さな魚は買わないようにしたい」小6女子
・「コロナ禍でも感染対策をした上での開催の意義は体験が減った子供にとって重要。感謝です」保護者
・「オンラインでも子供たちから多くの鋭い質問があって意義深かった」講師<団体概要>
団体名称 :海と日本PROJECTin沖縄県実行委員会
本社所在地 :沖縄県那覇市久茂地2-3-1
電話番号 :098-860-2003
設立 :2016年4月1日
URL :https://okinawa.uminohi.jp/
活動内容 :沖縄の海を未来につなげるために、地域の企業・団体と連携し、イベントや放送を通して海のことを考えるきっかけをつくり、行動する人を増やすための活動に取り組んでいます。日本財団「海と日本プロジェクト」
さまざまなかたちで日本人の暮らしを支え、時に心の安らぎやワクワク、ひらめきを与えてくれる海。そんな海で進行している環境の悪化などの現状を、子どもたちをはじめ全国の人が「自分ごと」としてとらえ、海を未来へ引き継ぐアクションの輪を広げていくため、オールジャパンで推進するプロジェクトです。
https://uminohi.jp/
なぜ、糸満は海人のまち?漁業の発展と今も息づく旧暦文化を学び、海と人のつながりを考える!「第1回 しまうみ探検隊in糸満~海人のまち糸満で学ぶ 魚のくらし、人のくらし~」開催。|海と日本プロジェクト広報事務局